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曲目紹介
  ふれあいトリオがコンサートやCDで取り上げている作品の解説です。

Trio作品   Solo作品




ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op.8
解説:吉田恭子
ドイツの作曲家・ブラームス(1833〜1897)は、バッハ、ベートーヴェンと並び「ドイツ三大B」として広く親しまれています。彼はベートーヴェンの最も正統な後継者であり、その音楽はどれも素晴らしいもので、極めてロマンティックな作品、力強くたくましい作品、やさしくて心がほっとする作品など様々な性格を持っています。形式的にはバロック・古典派からの伝統を守り、どの作品もていねいに仕上げられています。このピアノ三重奏曲第1番は、1854年ブラームスが20歳のときに完成された初版と、36年の歳月を経た1890年、彼が56歳のときに、自身が大幅に手を加えて完成されたものがあり、現在は主に改訂版が演奏されます。ブラームスは友人への手紙の中で、この改作について、「かつらをかぶせたのではなく、少しクシを入れて髪を整えただけです」と書いていますが、実際には大きく書き直しがおこなわれています。若い頃の溢れ出ていた豊富な楽想を整理して、作品に古典的な明確な構成美をあたえました。青春のういういしい感情がはっきりと残り、長い豊富な経験からの大きな熟達、ロマン的資質と、観念的古典への復帰、相反する二つのもののうえに立つ最もブラームスらしい美しい作品といえるでしょう。

シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調op.99
解説:渡部玄一
多くの作曲家に共通していえるのが、ピアノ三重奏曲というジャンルの作品が大変少ないということです。それはオーストリア生まれのフランツ・シューベルト(1797〜1828)にもあてはまり、2曲しか残っていません。しかし、その2曲は共に重要な曲であり、特にこの第1番は、調性や楽章数という点で同時代に作曲されたベートーヴェンの「大公」トリオ(ピアノ三重奏曲第7番)の影響が垣間見られます。この作品では、室内楽本来の暖かさや親しみやすさを持ちつつも保たれている芸術性の高さを感じ取ることができます。
第1楽章 アレグロ・モデラート ソナタ形式 明るく伸びやかな第一主題と抒情性の高い第二主題
第2楽章 アンダンテ・ウン・ポコ・モッソ 三部形式 歌謡的旋律の美しい作品
第3楽章 スケルツォ 快活でワルツ風な動きの中にも自由な即興性が見られます
第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ〜プレスト ロンド形式


メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.49
解説:吉田恭子
ドイツ・ロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)が30歳のときに作曲した作品です。当時の作曲家としては大変裕福な環境に育ったメンデルスゾーンですが、この頃、ヴァイオリン協奏曲や交響曲第3番「スコットランド」などの代表作を次々と生み出しており、非常に充実した時期だったことを知ることができます。同じドイツの作曲家シューマンが「ベートーヴェン以後に書かれた最も偉大なピアノ三重奏曲」と絶賛した作品にふさわしく、印象的で美しい旋律、いきいきとした躍動感など、メンデルスゾーンならではの気品に富んだ情感に溢れています。ピアノ、ヴァイオリン、チェロそれぞれの魅力はもちろんのこと、トリオの素晴らしさを十分に楽しめる名曲といえるでしょう。

ベートーヴェン:
  ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調op.97「大公」
解説:渡部玄一
「私は追放された人間のように暮らさねばならない」と、耳の傷害により絶望的になったベートーヴェンは、悲痛な遺書のような手紙を弟に宛てて書きました。しかし新たな決意と共に立ち上がり、その後は音楽の歴史を変えるような偉大な仕事を沢山しました。この「大公」は最も充実した時期に書かれた代表作の一つです。明るく、健康的で美しいこの楽曲は何より喜びに満ちています。しかし作曲の技術的な面では、無駄が無く緻密で、大変高度な物です。「人間がなしえる多くの事」を、この曲は教えてくれているような気がします。

ベートーヴェン:
  ピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調op.11「街の歌」第2楽章、第3楽章
解説:白石光隆
18世紀末、ウィーンでは管楽器による華やかな作品が娯楽音楽として流行していた。この三重奏曲もそうした人気に便乗してか、本来はクラリネット、チェロ、ピアノのために書かれた作品であるが、クラリネットのパートはヴァイオリンで代用できるように書かれており、現在ではむしろヴァイオリンによる演奏の方が多い。第2楽章は、優しい旋律に満ちあふれたアダージョ。第3楽章は、ヨーゼフ・ヴァイクルという人のオペラ「海と男たちの愛情」の中の三重唱のメロディを主題とする9つの変奏とコーダで構成されている。このとりわけ楽しげな三重唱が、当時のウィーンで流行していたことから「街の歌」と名付けられた。一説には、ベートーヴェンもヴァイクルの作品と知らずに、この変奏曲を書いたと言われている。

エルガー:愛のあいさつ
解説:吉田恭子
19世紀末から20世紀にかけて活躍したイギリスの作曲家、エドワード・エルガー。彼が出現するまで、長い間イギリスには大作曲家が誕生せず、「英国音楽の不毛の時代」と言われていました。楽器店を経営する家庭に生まれ、父親に音楽の手ほどきを受けながら独学で作曲を学んだ彼は、行進曲「威風堂々」や「エニグマ変奏曲」「チェロ協奏曲」といった名曲を残し、現在でもイギリス国民の英雄として熱狂的な人気があります。この「愛のあいさつ」は、アリスという女性へ婚約にあたり贈られた曲で、二人は家族の反対を乗り越えて結婚しました。とても穏やかな紳士として知られるエルガーは、アリスと生涯おしどり夫婦として仲良く過ごしました。彼の音楽には、そういう誠実さと温かみが溢れているのが魅力といえます。伸びやかで明るく素直な喜びに満ちた旋律から、エルガーの優しく力強い心の響きが聴こえてくるでしょう。

ピアソラ:オブリビオン
解説:吉田恭子
「モダン・タンゴの鬼才」と呼ばれるアストル・ピアソラ(1921〜1992)は20世紀を代表する音楽家のひとりです。バンドネオン奏者として、また作曲家として活躍した彼は、アルゼンチン・タンゴに革命的な進化をもたらせました。「オブリビオン」とは「忘却」という意味で、この曲は「ヘンリー4世」という舞台劇のテーマ曲として作曲されたものですが、その後フランス語で歌われ、広く知られるようになりました。強い情熱を秘めながらも、暗い哀愁を漂わせる独特の雰囲気をもった曲です。

ピアソラ:リベルタンゴ
解説:白石光隆
タンゴの革命児アストル・ピアソラ(1921〜1992)の代表作です。ピアソラは8才の誕生日に父からバンドネオンをプレゼントされました。10代になってからクラシック音楽の手ほどきを受けるかたわらタンゴに接し、急速にバンドネオン奏者、そしてタンゴ作曲家としての腕を上げていきました。30代になったアストルはパリに居を構え、パリ音楽院の名教授ナディア・ブーランジェ女史のもとで作曲を学んでいました。ある日、自作のタンゴをはじめて女史の前で演奏した際に、名教授は飛び上がって喜んだそうです。一度アルゼンチンに戻った彼は意欲的に作品を発表し、更に進展を求めイタリアに渡りました。その直後に発表された「6つのタンゴ」の中の1曲がこの「リベルタンゴ」です。アルゼンチン・タンゴの情熱をそのままに、整然とした形式感が宿る名作として、今ではあらゆるジャンルの音楽家に愛奏されています。

ピアソラ:ブエノスアイレスの春
解説:吉田恭子
「モダン・タンゴの奇才」と呼ばれるアストル・ピアソラ(1921〜1992)は、バンドネオン奏者として、また作曲家として有名で、20世紀を代表する音楽家の一人です。タンゴとは19世紀末に南米アルゼンチンの港町で生まれた踊りで、小型アコーディオンを改良したバンドネオンによる刺激的な音楽と、男女のカップルによる情熱的なダンスが大きな魅力です。ピアソラはクラシックやジャズなど様々な音楽を学び、従来のタンゴの枠を大きく打ち破った、彼独自の音楽の世界を作り上げました。ピアソラの作品といえば、ウィスキーのCMで流れた「リベルタンゴ」という曲が有名ですが、この「ブエノスアイレスの春」も同様に彼の代表作です。長く激しい冬を耐え貼るには新しい命が芽吹く、そんな力強い生命を表現した作品で、ヨーロッパからの移民が築き上げたアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスで生きる人々の情熱や哀愁が強く込められています。

ルロイ・アンダーソン:そりすべり
解説:吉田恭子
「軽音楽の巨匠」と呼ばれるアメリカの作曲家ルロイ・アンダーソン(1908〜1975)の作品は、ユーモアとアイデアに溢れたものばかりです。彼は、一時ハーバード大学の教授を務めていたのですが、ボストン・ポップス管弦楽団の編曲の職を得て、音楽家に転身しました。その後、編曲だけでなく、作曲家としてもボストン・ポップスの為に数々の小品を作曲しています。「そりすべり」では、馬のいななき(これはチェロが高度なテクニックで演奏しています)が出てきたり、子供たちがそりすべりで遊ぶ冬景色が見事に音楽で表現されています。陽気で微笑ましい作風は、アメリカの古き良き時代の象徴といわれ、人々に親しまれています。

ルロイ・アンダーソン:ワルツィング・キャット
解説:吉田恭子
「軽音楽の巨匠」と呼ばれるアメリカの作曲家ルロイ・アンダーソン(1908〜1975)の作品は、ユーモアとアイデアに溢れたものばかりです。この「ワルツィング・キャット」は、裏庭に子猫達が集まって気持ちよさそうにワルツを踊っていると、突然犬に吠えられて逃げ出す様子が見事に描かれています。陽気で微笑ましい作風は、アメリカの古き良き時代の象徴といわれています。

ワーク:大きな古時計
解説:吉田恭子
この作品は、1874年にアメリカの作曲家ヘンリー・クレイ・ワーク(1832〜1884)によって作詞・作曲されました。ワークが仕事でイギリスに渡っていたときのことです。ホテルのロビーにある大きな木製の時計に目が留まった彼は、動いてもいない古びた時計がなぜ置いてあるのか、ホテルの主人に尋ねました。その時計は、かつてのホテルの持ち主ジェンキンズ兄弟の兄が生まれた日に購入されたもので、何十年もの間、正確な時を刻んでいました。ある日、弟が病に倒れ亡くなってしまいますが、時計はその日を境に故障して遅れるようになりました。1年後に今度は兄が亡くなると、息を引き取った「11時5分」を指したまま、ついに時計は止まってしまったそうです。ワークはこの話に深い感銘を受け、一晩でこの曲を書き上げました。

喜納昌吉:花 〜すべての人の心に花を〜
解説:吉田恭子
日本を代表する沖縄の音楽家、喜納昌吉さんが1980年に発表した作品で、今やアジア全土で広く親しまれている永遠の名曲です。終戦から3年後の1948年、喜納昌吉さんは沖縄県コザ市に生まれました。沖縄は第二次世界大戦の激戦地となった場所で、たくさんの島民が巻き込まれて亡くなりました。特にコザ市は、ベトナム戦争や朝鮮戦争において前線基地としての役割を果たした街でもあり、そこで生まれ育った彼にとって、この悲しい戦争の歴史は切っても切れないものがあります。高校生の時、彼はテレビに映し出された映像に衝撃を受けました。それは東京オリンピックのフィナーレ。あらゆる国家の民族が抱き合い、笑い、踊る光景から、この「花」の歌詞である「泣きなさい、笑いなさい」の響きが自然と沸き上がったそうです。現在では「すべての武器を楽器に 戦争よりも祭りを」というメッセージを提唱し、積極的に平和活動を行っています。「花の原点は、常に自然を大切に育む沖縄である」と彼は言います。優しい沖縄の旋律に乗って、自然と平和を愛する人々の気持ちが伝わればと思います。

ジョー・ザヴィヌル:バードランド
解説:白石光隆
1970年代になってジャズ界には大きな変化が見られるようになりました。それは、1969年にトランペットのマイルス・デイヴィスが発表した「ビッチェズブリュー」というアルバムにより提示されたジャズの一つの方向性で、ロック、ソウル、レゲエなどのジャンルと合わさり、楽器編成も、リズムセクションが増え、電子楽器が惜しげもなく使われるようになりました。そうした音楽は「電子ジャズ」「ジャズロック」などと呼ばれ、それはいつしか「フュージョン」という言葉で表現されるようになったのです。そのフュージョン界を代表するグループが、ジョー・ザヴィヌル率いるウェザーリポートです。天才ベーシスト、ジャコ・パストリマスをフューチャーしたアルバム「ヘヴィー・ウェザー」は、同グループの最高傑作であり、収録された「バードランド」は、彼らの一番のヒット曲になりました。後にヴォーカルグループのマンハッタン・トランスファーが英語の歌詞をつけてカヴァーしたヴァージョンも広く親しまれています。

スティーヴィー・ワンダー:愛するデューク
解説:白石光隆
1976年に発表されたアルバム「キー・オブ・ライフ」 は、LPチャートで13週連続1位を記録した大ヒット作です。そしてその中に収録された「愛するデューク」は、スティーヴィー・ワンダーの一番の人気曲となり、現在でもCMなどに使われ、世界中の人々に親しまれています。「音楽は言葉を越え、人種を越えて心を伝えるもので決して滅びることはない。素晴らしい音楽は体中で感じるはずさ」という歌詞を乗せて奏でられるそのサウンドからは、人間にとって無くてはならない音楽を心から讚える賛歌が聞こえてくる様です。デュークとはジャズの偉人デューク・エリントンのことで、スティーヴィー・ワンダーが最も尊敬するアーティストの一人です。また歌詞の中には、そのエリントンをはじめ、カウント・ベイシー、グレン・ミラー、サッチモ(ルイ・アームストロングのこと)、エラ・フィッツジェラルドなどの先人たちの名前も登場し、彼らの音楽も決して滅びることはないと歌っています。

ビンセント・ユーマンス:キャリオカ
解説:白石光隆
1933年に作られたアメリカ映画「空中レビュー時代」の主題歌として発表されたのがこの曲です。「キャリオカ」とはブラジルの旧首都で、カーニバルで有名なリオ・デ・ジャネイロに生まれ育った人々をさし、「江戸っ子」や「パリジャン」という言葉と同種のニュアンスを持っています。南米の息吹を掴み取ることのできるこの曲は、吹奏楽やオーケストラなど様々な編成にアレンジされ、世界中で親しまれています。

C.ポーター:私の気持ちはダディのもの
解説:白石光隆
C.ポーター(1891~1964)はアメリカのブロードウェイミュージカルの全盛期を支えた、ポピュラーソングの作曲家の1人。恵まれた家庭に育ち、幼年期より音楽の才能を発揮し、11歳にしてピアノ曲「ブルックリンワルツ」を出版するまでに成長した。1930年代以降、次々とミュージカル作品を発表。「昼も夜も」「ビギン ザ ビギン」「You’d be so nice to come home to」など、数多くのヒット曲を生み、粋で味わい深い作風で知られている。この「私の気持ちはダディのもの」は1938年発表のミュージカル「Leave it to me」からのヒット曲。ラテンリズムにのったエキゾチックなメロディーが印象的で上記の有名曲と共にたくさんの歌手やジャズミュージシャンに愛奏されている。

マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
解説:吉田恭子
ピエトロ・マスカーニ(1863〜1945)は、19世紀末イタリアでオペラ作曲家、また指揮者として活躍しました。 1890年、代表作「カヴァレリア・ルスティカーナ」によって驚異的な成功を収めます。このオペラはヴェリズモオペラというジャンルで、非常に庶民的な世界を舞台としたストーリーに、それを彩る美しい音楽、シチリア島独自の文化が加わり、情熱的な歌劇になっています。物語が盛り上がったところで、いったん心を静めるかのように流れる特に有名な部分がこの間奏曲です。

A.C.ジョビン :イパネマの娘
解説:吉田恭子
20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(1927〜1994)は、1950年代後半、ジョアン・ジルベルト等とともに、ボサノバという音楽のジャンルを開拓しました。彼の音楽のルーツは、ブラジル屈指の作曲家ヴィラ=ロボスの強い影響、またフランスの作曲家ドビュッシーなどクラシック音楽からの影響も受けています。イパネマの娘は1962年に作曲された歌曲で、海岸を歩き去る美しい少女への届かぬ想いを訴える歌詞と、驚くような転調を繰り返しながら展開していくメロディーが特徴です。世界中でカヴァーされたこの曲は、ボサノバのナンバーとして最も有名な曲です。

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